思考という内臓:『シャーロック・ホームズ』



ガイ・リッチーという監督は「時代遅れ」を撮ってきた監督だ。


ボクシング・リングの上に机を構え、町のチンピラが雁首揃えて賭けポーカーをやる、そういう監督だ。
ロシアン・マフィアの近代的ビジネスライクなヤクザスタイルを嫌うボスが仕切る街、ロンドン。
街のチンピラ、そのドンが世界の王様になる。そういう時代が、その昔あったんだ。


今更ですが無印『シャーロック・ホームズ』の感想です。一ヶ月経てば『シャドウゲーム』のソフトが発売されるので布教活動です。ライオネル・ウィグラム原案、監督はガイ・リッチー。撮影に『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』、『ブレイブ・ワン』などニール・ジョーダンと組んでる印象、フィリップ・ルースロ(いやでも『コンスタンティン』もこの人なんだよね)。音楽はハンス・ジマー。俳優はロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウレイチェル・マクアダムスケリー・ライリー、そしてマーク・ストロング。お色気映像として、股間に枕一丁でベッドに拘束されるR・D・Jと金色のバスタブで死ぬ丸裸のジェームズ・フォックスが拝めます。僕得。
シャーロック・ホームズという大人気キャラクターは超マイペース人間として描かれることの多い探偵だけれども、ここまではしたないホームズは初めてでした。原案ライオネル・ウィグラムのコミックアートはマッチョイズム溢れる絵面でドキドキしましたが、ここまで汚くなったのはやはりガイ・リッチーの性癖によるところが大きいと思います。




非常にお金のかかった映画で、その資金を1891年、十九世紀のロンドンを丸々作ることに使ったというのが、この作品のキモであると思います。つまり、総体的な見方ですが、この映画は「思考の宮殿」からの逆算、ロンドンという街の映像でホームズの人格表現をやっているのでは、と。


未舗装の道、泥にまみれたロンドン。泥水でズボンや外套の裾が汚れるのを「当たり前」だとそのまま生活する人たちが暮らす街。過剰なまでに映し出される蛙や豚といった生き物の内臓。はしたないまでに内部構造をむき出しにした萌え毒ガス機械。液体や気体が流れる管と、肉のように群がり油で濡れる構造体と、それを繋ぐ縄と鎖、それを支える錆びた骨組み。呼吸するように蒸気を吐き、湿度の高い肉の熱に踏まれて石畳が冷気を放つ、肉と泥と石と歯車で出来た歪な大都市。このロンドンはどうしようもなく生き物だ。そしてこのロンドンにホームズが思考を(なんですかあの推理は。完全な推理はもはや未来予知になるとか、どう考えても爆笑ポイント)張り巡らせた途端、考える肉、つまり都市がホームズの思考を投影した一つの巨大な脳味噌に見えてくるんです。


エレガントだとかスタイリッシュだとか、多くの人が望む清潔で安易な偶像。そんなもの、この映画には一切ありません。あるのはむき出しの鉄骨で景観の整っていない都市と、様々な動物の死体。泥にまみれた市場と、身なりのだらしない酔っ払い。中年男の脂ぎった肌。夜の闇の中、雨に濡れてテラテラ光る聖堂の屋根と、おしっこを漏らすように液体を噴射する玄関アーチ。



「この街は変わる。時代が変わるのだ」



僕らの時代を、未来を見据えたホームズの視線。さよなら、知的でお洒落な紅茶の国。さよなら、シックなお髭の紳士の国。時代遅れ、大歓迎。こういうひねた視点の変化があるからガイ・リッチーという監督は面白いんです。願わくば出来るだけ多く人が、出来るだけ色んな人が、この異様な臭気の内臓に触れてくれますように。




余談ですが、『シャドウ・ゲーム』におけるガイ・リッチーのホームズ・ラヴ傾向はますます高まり、「イギリスという小さな島国に収まらない、とてつもないニューロンを持つ男」として描かれるようになります。そうです、序盤のワトスン訪問映像です。新聞のスナップや写真、ありとあらゆる情報が貼り付けられ、樹状突起が放つシナプスのように赤い糸が張り巡らされている密室映像ですよ。国外すら推理の視野に収める巨大な脳味噌。「今度の舞台はヨーロッパだ!!」という説明をユーモラスかつ端的に行っている優れたシーンだと思います。いや、部屋そのものは不潔で超汚いですけど。


あ、ハネムーン列車襲撃時のセクシーショットは悩殺ものです。「ワトスン君、隣に寝たまえ」とオカマ化粧で腋毛全開。ウホッ、いい胸筋。なんてホモホモしい。いいぞぉおお、もっとやれぇええええええ!!やりまくれぇえええええええ!!!!(四代目・東方憲助の口調で)