最近消化した映画。
ナチスが最も恐れた男』、『5デイズ』、『レバノン』、『灼熱の魂』、『ラバー』、『ミラージュマン』、『ミステリーメン』、『シングルマン』、『ラブ・アゲイン』。


戦場でワルツを』を人に薦めるにあたって観ると補強になるレバノン内戦もの(一時大戦からのフランス委任統治下、スペイン・ファシズムファランヘ党の辺りを説明している教材として)を探してていろいろ吸収。スペイン独裁政権下だと実はギレルモ『パンズ・ラビリンス』なのだけど、やっぱりなかなか無い。『灼熱の魂』は戯曲『インセンディーズ』だと観てから気付いた。「赦し」に関して凄いことやってる映画なのだけど、これを嬉々として人に薦めてくる某先輩はどうかと思う。いや好きですけどこれ。


『5デイズ』は北京五輪の報道の影に隠れてしまった戦争の、戦争犯罪のお話。ボリビアオセチア、ロシア辺りの情勢知ってると相当面白い、のだけど、なんというかこれでもかというくらいレニー・ハーリンなアクションが盛り沢山。果たしてこの種の作品にこういう面白さが必要なのか。いや好きですけど。


「ある日突然タイヤが自我を持つ映画だ。可及的速やかに消化しろ」とのお師匠さんの指令により迅速に吸収した『ラバー』。なんというか酷い。超面白い。「理由がない」ことへのオマージュとして撮られているのだけど、何処まで本気なのか分からないさじ加減がもう酷い。


『ミラージュマン』TLで流れてきたチリ産ヒーローもの。相当よく出来ている。「ヒーローであらねばならなかった」主人公の切り出しが素晴らしい。やはり南米は暴力のレベルが違う。広く触れられるべき作品だと思うので、是非。


シングルマン』はおすすめされたので。


ラブ・アゲイン』は『カーズ』、『ボルト』、『ラプンツェル』のダン・フォーゲルマン脚本作品で男女のやり取りが絶妙な映画。恐ろしく突き抜けた台詞の連続。すごいとこまでいく。スティーブ・カレル、ジュリアン・ムーアライアン・ゴズリングケビン・ベーコンエマ・ストーンで僕によし。


で、『ウォーキング・デッド』が最高だった。死者が生者のふりをしてる中を生者が死者のふりをして歩くという非常にダラボンらしい皮肉めいた演出。人数集まると途端に不和が生じるとか素晴らしい。『ミスト』大好き。そして手斧。手斧最高。あと人肉アクセサリー映像最高。腸のネックレス。生存者の頭数が揃うとすぐに不和が生じる。ほんとうにこわいのはやっぱりにんげんなのね。



で、『おおかみこどもの雨と雪細田守×奥寺佐渡子作品。
鉄板。お伽話であり子守唄。この作品に「理由」を求めるなんて野暮。ていうか画面に配置された記号が的確なのでそれだけで満足。告白に躊躇する舞台がやはり「橋」で、ああ……、と思う。しかも橋の下の川面に民家の光が映りこんでいて、もうそれだけでそこがどういう場所なのか分かる。


父親の名前が凄い気になったのだけど、父親の気配を表現するトコに必ず「黄色」があるので、まあそういうことなのだと思う。終盤、母親が着ている合羽も黄色。あとは「水」かな。向こう側をはさむ時に必ず水や鏡、映すものがある。冒頭のコスモスの花に関しても説明は最小限、しかし明確。あ、チングルマかもしれない。


娘の一人称語りで進行する形態、「思い出として終着する」作りというとこで、山田洋二監督『たそがれ清兵衛』と共通する部分がある。こういう語り口は映画によい余韻を付け加えることが多く、「好き嫌い」はあるがなんとなく満足して席を立てる、という効果を与えやすい。


もし、『幸せへのキセキ』が「娘の語り、ナレーションによって進行する」映画であったのならば、おそろしいまでのノスタルジーに満ちた作品になることは想像に難くない。『ライフ・イズ・ビューティフル』は最後に一言語りを入れてくるギリギリの仕掛け。あれはずるい。


物語の中の人物を語り手に据えることで、「この物語のおかげで、私は今生きています」感を増量する。対して主人公一人称語りはお話をニヒルかつ皮肉的に、突き放した距離で見せることが可能なやり方。チャンドラーが超上手。


主人公でない登場人物の語りが起こす化学反応としてものすごく分かりやすいのが『ショーシャンクの空に』だろうか。


アバター』も主人公の一人称語りの作品なのだけど、そこに突っ込んで考えてるサイトはあんまないような。キャメロンはそこら辺“分かってる”監督なので、あの映画にとってのカメラの、ある視点の作りこそが実は凄いとこなんじゃないかと思ってるんだけど。『エイリアン2』だ。『エイリアン2』を観ろ。


アバター』の一人称語りとビデオログカメラの効果、そして最後のナヴィ族の男になった主人公が目を開くシーンに関しては、自己の肉体及び自己監視からの解放、意識についての考察がもっとあってもいいと思う。